ズッキーニ。

学校に6年行かなかったあたしがきのくに子どもの村を卒業してから大人になって思うこと

「コンテナ物語」を読んだ。祖父のことを思い出した。未来のことを考えた。

時間があるので本を読もうと思った。人におすすめの本を聞いたら「コンテナ物語」と言われたので検索すると2800円+税で400頁越えだったので図書館に足を運び借りることにした。ビジネス関連の棚にあるのかと思いきや、輸送、運搬、物流の棚にあった。これは物流の歴史か。いや、そうではないはず。なんとなく図書館の司書業務も面白そうだなと思ったけど。資格がないのでできません。

 

数十ページ読み進める…

違うな。これは、この「速度」で読むと恐ろしく疲れる本だ。私が普段あまり読まない系の本なので「今、物語はなにが起きているのか理解しようとして読むと歴史の教科書レベルでウザイ」藤原さんがどーしたとか足利さんがどーしたとかこの人との関係性とかそんなの理解しながら読めるのは賢い人だけ。他の人にとってはどう見えてるのか分らないけど、小説とか精神医学とか哲学とかばっかり開いてる人間には、登場人物の構想や心情の描写もなく歴史の教科書ばりに事実を羅列していく本は活字が暴れだしてどっかに飛んでいってしまう。

そう、理解しようとしてはいけない。大事なのは速度。これを書いた人が考える隙もなく論説しているのをただ耳から聞いているだけだ私は。聞いているだけなら、想像していても内容の半分は正確に理解できなくても言いたい事の意味は分かる。

この記事は、本の内容ではなく、本を読んでそうだよねと私が勝手に思ったことを書いただけだから。実際の内容は読んでほしいと思うし、全然的外れじゃないのということもあると思う。空を見て、きれいだと思うか悲しいと思うかはその人の脳内でだけ起こる特殊なことなのでそこはどうか、許していただきたい。

 

 

15分で100ページめくり終え、ああまだ4分の1もあると思いながら。そんな環境下でも引っかかる言葉がいくつか見つかる。(ていうか一生懸命書いてるのに雑に読んですみません。)

  • 発明は素晴らしいけれど、発明しただけではそのものが浸透することは難しい。必要なのは発明したものをどうイノベーションするか。エジソンが電球を作ったけど、それが家庭に普及するには数年かかったそうだ。

 

  • 人は魅力のない存在に心動かされることは少ない。飛行機や、ロボットに魅了される人々は多いだろうけれど、アルミ缶やコンテナのような面白みもないものになにか主役になる素質はない。人の興味を得られない存在は話題に上がることもすくないだろう。それでも、そういった存在が驚くことに物の流れ、仕組み、今まであった世界を変える。

 

必要なのはシステムなんだ。ないものを生み出すには、目に見えている現状に向き合い続け行動し続ける人の強い精神と商売根性なのだと思う。

 

商売根性について、ひとつ。私の祖父は豆腐屋だった。潰れた豆腐屋を丸ごともらい受け、ちいさな店をほぼ家族経営でスーパーにおろす工場まで育てた。おからは刑務所に400g50円で売っていた。福井県は社長が多いと言われている。主には眼鏡の生産が盛んだ。が、そのせいで共働き率が多く、家事に割く時間がすくないのでお店で売られるお惣菜の種類が豊富だ。だれもが商売根性が強いのだろうか。70歳過ぎてまで工場を続けた祖父はその間、賃貸マンションの経営、テナント、借家などもしていた。

継ぐ人がいないからと工場をたたむことにしたころには、福井の開発地域に新たにマンションを建てていた。母の話では良くそこに足を運び、できていく様を嬉しそうに眺めていたそうだ。

豆腐屋の仕事は朝が早い。午前3時に豆に水を入れる音がしていた。祖父の部屋の明かりは18時には落ちていた。従業員は多くなかったけどそれぞれに家族はいた。その家族を食べさせるだけのお金を払って、特売日には一丁29円で売る豆腐工場の資金繰りなどその頭の中は一体どうなっていたのか私には分からない。学校に行かない私に一度も「行け」と言うこともなかった祖父は、工場を掃除するバイトや帳面の付け方を教えてくれた。漢字をまともに書けない私だが「豆」と「腐る」という漢字は書けるようになった。

ずーっと、商売人は死ぬまで商売人なんだって気がしていた。定年とか老後とかないんだな。そういう人たちが世界を変えてもおかしくない。見ている所はただ一つ、もっと、もっと、先へ。そういうこと。

 

私が大人になってから製造工場で働いていた時の事。マイクロで0.001ミリを計って旋盤でモノを削って手作業でだす仕事を教えてもらっていた。完全にアナログの「数を数える器械」の部品から作り一つ一つを組み立てて調節する誤差と誤差を埋めていく。

ジュラコンが温度で膨張することを計算にいれて(でも数値でだしているわけではなく感覚で)組み立てていく。ガスメーターも車の走行距離のメーターなにもかもすべてが電子に切り替わっていく中でまだ使い続けられている。おもに工場の生産ラインや、電車の遮断機の中に組み込まれたりするらしい。何万回以上カウントしたら交換する目安になっていたり。電気を使うことがないところでも利用できる。20年も前の生産品が今も修理で返ってくる。最初に設計をする人がいるのではなく、「こうしたらどうか」と考える技術者がいて、それを実際に部品から作り上げて、製図に書いて貰う依頼をする。

「もの」は、数字を計算して生まれるんじゃない。頭の中と手の中で生まれるんだと知った。人間にしかできないことはたくさんある。

この器械も国内販売は少なく貿易で輸出されていた。行き先は中国、香港、タイ、パキスタン…何万台のような数ではないから船も混載かなにかだったのだろう。物語の中のようにコンテナに乗ってよその国に行っていたなんてなんだか不思議だ。

 

  • 「コンテナ物語」の中で、成長していくと労働者たちの仕事がなくなっていく様子も描かれている。仕事を失ってしまうような発展を心から望まない人たちとの対立。ストライキ。アナログとシステムの相対する戦いのような気がした。

 

必要なのはイノベーション。いまある技術を普及させるためのシステムを構築できれば、潰れていく零細工場もつぶれないかもしれない。小さな工場一つが潰れて、その工場が受け持っていた部品を他の工場で作れなければ連鎖的につぶれていくところがある。

例えばコストを下げるために違う工場に交渉にもちかけても、「工場と工場は繋がりあいでなりたっている。あの人のやっている仕事をとるようなことはできない」という世界。そういう人たちの頭の中だけで成り立っている世界。勿体ない。必要なのはそういうことを解消するためのシステム。どの工場でどんなものを作れるのか、互いにコストを下げることのできる。利益を上げることのできる。仕事を増やすことも無駄を省くこともできる、可動域を広げるために利用するべきなのはシステ厶。人間に手は二つしかない、それでも生産性をあげることができるのがシステムだ。

 

残念なことに技術者たちは目の前にある物を作ることができても、そこに存在しないシステムを見ることができない。彼らは営業でもなくエンジニアでもなく技術者だからだ、そのシステムを作っていくのは商売根性を持った社長なんだろう。

 

私にはエンジニアの仕事がなんなのか理解できなかった。今もできていない。ペッパー君を作ったり、アイボを作ったり。人のできることをロボットにやらせる意味が分からなかった。それはでも「魅力のある存在」ロケットやロボットと言う「主役」に取りつかれている一部の人たちの仕事に過ぎない。

本来は、アナログの人にしかできない技術を、システムでしかできないやり方で普及させる仕組みを作る人たちのはずなんだ。そうなのかと思うと恐れいる。映画「シチズンフォー」や「ソーシャルネットワーク」を最近見たせいなのかもしれない。出会い系サイトを作るのか、Facebookを作るのか。使い方を間違えてはいけない。

 

 

200頁まで読み進めた。

学校というアナログな入れものの問題はなにか。システムで変化することができるのならどこだろうか…。そればかりを、考えていた。

 

300頁を超えて物語は4分の3終わり、終盤に差し掛かろうとしていた。

  • コンテナは成長している途中では問題が起きても対処し、いくつかの相手と競争した、しかしまだ未発展のものに対しての争いは完成したものとのそれとは違った。コンテナを船で運搬するというシステムが出来上がってしまった。完成してみればその必要性の高さに追いかけるように多くのライバル会社が増え、船が増えた。増えすぎた。その結果は需要と供給のバランスが崩れ運ぶ荷物に対して船が溢れ、のちにどうにもするこのできない価格競争へと進んでいった。

 

私は分厚い本の結末に近づきながらひたすら考え事をしていた。学校と子どものマッチングがもっと楽に出来るなら、学校が同じであることも平等を目指すこともなくそれぞれが「なにかに特化した」学校であればいいのだと感じていた。今作っているきのくに本の中でも、卒業生は選択するべきことが多いこと、それを子どもと学校側が上手くつなげられることが重要である。自由か、自由でないかが重要なのではなく、子どもが自由を求めるのか、なにを学びたいのか、学びたい環境があるのかが重要なのだと言ってくれる人がいた。

 

高校を選択することも探すこともしないで地元に帰ってしまった私だけど、高校で一人沖縄に行った女の子もいた。その学校の存在を知ってから、ようやく違う学校とは「きのくに」だけではないということに気づき、気づけなかった自分を悔やんだ。けれども、「それを知ることを子どもたちが当たり前にできるシステム」を組み立てられるならば学校の仕組み自体が変わっていくのではないか。私立だからどうではなく、公立の中から選べるような学校はあるはず。それを一つ一つ繋ぎ合わせて、子どもと合うのかが体験できるような仕組みを生むことが理想なのかもしれない。

それは、小学校から可能で、自治体の協力があれば日本人による日本人のためのホームステイや、その学校の近くで暮らせば子どもは通うことができるし親は仕事を辞めなくても済む。そういう話をしていけるのだろうか。

もちろん、いちばん大切なことは親がどの学校に入れたいかと言うことではなく。子どもがそこに行きたいと望んだときにだけ機能するということ。

 

これはただの私の妄想、アイデアにしかすぎない。まだ、システムもなにもない。必要なのはイノベーション

 

  • コンテナの未来をいち早く進めていった彼は、もういない。その最後は幸福なものだっただろうか。自分の野心のままに戦って、みた世界の結果と、退いた後に人々が起こしていった争いを静かに、どう眺めていたのだろう。同じように野心を抱いた仲間たちはそばにいたのだろうか。彼は彼にしか見えていなかった未来、より早くより多くのものを運ぶという世界の果ては孤独ではなかっただろうか。 なぜ自分の心を信じてそんなにも戦うことができたのだろうか。汽笛の音がここまで届くようだ。

 

本を読んで、想像した未来の先を考えた。

読み終えて、物語は読みものではない。知識は道具だと改めて感じた。疲れた。


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