ズッキーニ。

学校に6年行かなかったあたしがきのくに子どもの村を卒業してから大人になって思うこと

不登校はいつか終わると言う幻想はどこからきたのか

 

不登校の親の会では、いま、休んで、子どものペースで止まっても、いつかその子の足でゆっくりと歩き始めるかのように親たちのこころがパンクしてしまわないために、お互いがお互いの苦しみを吐き出し、なんとか平静と日常を保っている日々だった。

まるで、我が子を殺めてしまうことのないよう。

 

だけど。だけど、この「問題」は小学校が終わろうと、中学校が過ぎようと、高校を越えて、大検を受けて大学でなにかを取り戻すように乗り越えるような経験をしたとしても。一生続く闇が人生をつきまとう。

 

だれもそのことを受け容れずに、いつか、いつか、これがこの子の生き方、だからいいんだといってやり過ごす。

 

わたしは、親にあんたは不出来だから殺すと言って殺された方が幸せだったかもしれない。自分んが誰かを傷つけたりする方になるくらいなら。

 

ひきこもりは40代でも50代でもなくならない。家庭内暴力も。子どもから親への暴力も、親の会の主催者は「私と妻でいつだって顔にあざをつくってまわりには転んだと言っていた」と笑っていた。

相談者の中にはもう大人になっても手が付けられなくて、とうとう家に合った日本刀を持ち出して母親がすっと足をきられてしまい。病院にいったら、これは自分ではつくような傷ではないと、子どもは警察に捕まってしまって、その後その人たちはどうなったのかなぁ、なんて話したりもしていた。

 

不登校は終わらない。暴力に変わるほどの狂気がその子どもに備わった時から、いつか幸せに生きていけるかもだなんて幻想は捨てて、それが現実、それでも現実。

 

だって、「問題」なんて最初からなかったのに。「問題」にしたのは人間。学校があるから、行くべき道が用意されているからはみ出したものが「問題」と言われる。最初から道なんてなくていいのに。社会が作り出した「問題」そう言われ続けたことの刷り込み。

 

あたしは「問題」なのだという自覚。自己否定。思い込み。いらない思考。

 

すべての人に平等に穏やかで平穏な生活なんて訪れない。幸せは幸せは人のもとに、不幸は不幸な人のもとに。それのなにがおかしい。それでなにがくるしいの。そんなことはだれにだってある。だからって何かを奪われるわけじゃない。

死にたくて電車を止めようと、出社が遅れたくらいで「死ぬなら違うことで死ねよ」って一人の消えていった命になにも感じずに生きていく人たちの中でなんてどうせ生きていけやしない。

 

どっちが正常?どっちが異常?わたしはこの世界で生きていける人たちの異常性がわからない。わからないよ。

 

神様がサイコロをふったのか。無作為に人は死んでしまうね。善人も悪人も。止まらない、そのうち人類は3分の1くらいになってしまって、いままで作ってきた未来はすべて変わる。変わらなければ、人間のいない地球がいつかくる。動物たちだけが生き残って建造物もすべて朽ちて。緑と水のきれいな星に戻りでもするのかな。人間は共存できなかった。だから死が訪れる。抵抗したって無駄、個人個人の意志なんて統一することはできない。制御できない。止まらない。