ズッキーニ。

学校に6年行かなかったあたしがきのくに子どもの村を卒業してから大人になって思うこと

学校教育の戦後70年史を読み進めている、途中。

 

無着 成恭むちゃく せいきょう、1927年3月31日生まれ。

天皇のために死ななくてもよくなったということは、自分のために死んでよい時代になったのだ」ということだった。

 

「これからは、自分の生き方は自分で決める時代でなければならない。学力というのは・・・・・自分を生かすものを見つけ出すための判断力、選択力、決定力のことで、教育とはそうした力をつけてやることだ」

  学校教育の戦後70年史より。

 

天皇陛下のために死ぬ」ことを聞かされて育った無着さんが、8月15日を境に生きる目的が突然失われ、虚脱状況になった中で気づいたことだったという。

 

うおぉ。学力とは、自分を生かすものを見つけ出すための判断力、選択力、決定力、教育とはそうした力をつけてやること。終戦当時に至極まともなことを言っている人がいて教育に関わっていて、教育史に残るほどなのに。どうしてこの言葉がベースになるような日本教育にはならなかったのかな。自分の生き方を決めるというよりは、採点によって行き方を決められている気がする。

 

1951年(昭和26年)に「やまびこ学校」という本を刊行した無着さん。終戦からたった6年。

 

無着ってだれ。検索したら「無着 成恭 自由の森」が出てきた。まさかの自森。

1956年(昭和31年)駒沢大学を卒業し東京の明星学園教師になる。

1985年(昭和60年)、元明星学園小中学校校長遠藤豊らを中心に自由の森学園中学校・高等学校が開校した。自由の森学園設立委員会の中に無着の名前があった。

 

今何してるかって言うと。「教育はもういいよ」と千葉のお寺の住職になったらしい。

夜回り先生とかも、「もういいよ」的なことを言って辞めたきがする。

ずっと。ずっと。ずっと言っても動いても、変わらずに壊れ続ける生徒は生まれ尽きなくて。何回も何回も同じ問題で人が入れ変わり立ち代わりし続ける。困った人は助けてしか言えないし、助け合うことをしない。たすける人の方が壊れてしまうのかな。

 

水谷先生、本を出したから、あとは本を読んでくれって引退した気がする。

 

無着さんが教育を離れた理由は知らないけど。世の中には面白い人がときどき出てくるんだ。だけれども、その人がどうしたこうしたって、国とか政府とか親たちからしたらそんな教育関係なくて。子どもをいいなりにしたいように教えたいことだけ教えて、知らせたくない事実は言わなければいいって具合に矯正して。そうやって長い時代を作ってきた日本じゃないのかな。

 

誰のための教育か。なんのために生まれて何をして生きるのか。分からないまま終わる。そんなのは嫌だってさ。ねえ。アンパンマン