私は人に、しずくさんに、悪い影響を与える。
それは思考の歪み。
だけどその歪みから解放されることはない。
悪い影響、良い影響ってなんなんだろうね。
タバコやポテチが体に悪影響なのは分かっている事実。でも、なにかを摂取することに制限をかけることは精神にどんな影響を与えるのかな。事実としてわかっていないことが多い。
自由と放置の違いもハッキリしない。それが良いことか悪いことかは結果としてしか分からないんじゃないのかな。
必要なことか、必要のないことか、善悪さえも親や教師や他人が決められることじゃない。
暴力は悪いとしても、その暴力で生きられてしまうとき、それだけを切り取って「悪」と言えるのかな。
自分を傷つけることも、悪と言えない。殺人事件について必死に調べたとしても、それは殺人をする徴候ではないし。殺人について興味を持つことが悪いことではない。なんで人を殺すの?人を殺すとどうなるの?どうやって殺すの?その人はどのくらい辛いの?自分が生きてると同じくらい辛いだろうか。疑問をもつことはあること。
だけども、そこに至る要因には悪い要素があるかもしれない。そこに向かう必要があるかと言えば、なくてもいいし、そんなことよりも楽しいことが、日々目の前に餌のようにぶら下げられている日常ならば、死について考えることも自慰することも、「いらない」はずだった。
楽しいことで心がいっぱいになるくらい満たされているならそれは幸せだと思う。
テレビの中も、インターネットの中でも、死とはなにか。残酷なことを見たければ見る。見たいなら見ればいい。
だけど、その思考で縛られた世界には楽しいことがありふれていないんだと思う。
楽しいこと、遊ぶこと、友人がいること、自然とそれを選んでいく環境があるのなら。自分の欲求がなにか分からず、人の死について調べること、人の死について知りたいと思うことに結びついていく思考は、楽しいときは生まれない。
私がきのくに入って数ヶ月した頃、夜ご飯のあと疲れるまで鬼ごっこした。寮の中も外の坂も駆け回った。朝、誰より早く学校に行って音楽室のピアノを一人で弾いた。天気図を受信した。昼休みにずっとチャロを撫でていた。だれにも干渉されないこと、一人でいることに文句を言われないことに安心した。
子どもの自分が「子どもと遊ぶことを楽しい」と知るのに、生まれてからそこに行き着くにはとても時間がかかったと思う。疲れるまで走り回ることや、ボールを投げあうこと、そんなことが、まさか楽しいと思うなんてあの頃の自分には、信じられないくらい驚きだった。
そしてその頃は、死について考えずにすんでいた。
私の思考は歪んでいる、問題に取り組むべきとき、考えを単純化することから、始めなければいけない。まずは散らかった部屋を掃除する事が必要なように、散らかった思考を整理して、整理する方法もよくわからず、床に書かれた問題見るためにとにかく沢山ある思考を片付けたりよけたりしないといけない。
とてもスムーズではない。
無駄なこと、余計なこと、自分の負の思考を取り払う。問題の本質を見失って自己嫌悪や不穏な感情にばかり捕われて、解いていくこと、問題自体を簡単なものから難しいものに変えてしまっている。
それはたぶん、どこかで拾ってしまったまま身につけたまぎれもない「悪影響」なんだと思う。
「でも」と「だから」が多すぎるんだ。あれがやりたい、これがやりたい、でも、鬱だから、でも躁だから、でも学校が怖いから、でも人から怖いから。
躁鬱も、怖いと思うことも、止めることはできない。
取り払うことのできない感情をまとうことになったのは、私の性格と経験と環境すべてが要因。
私の思考と存在、環境は、しずくさんが自分の問題を複雑化させる経験になり「複雑化した感情」に捕われるんだという気がする。
だから私はとても「悪影響」、母親はいないよりもいた方がいいなんて楽なことじゃない。
生きることをわざわざ複雑にすることに利点がない。
私の思考も相互して、悪化してしまう。だから私は母と実家で暮らすことはしない。悪化したから。
しずくさんと関わりすぎないこと、私という「悪影響」から離れること、それが私の人としての関わり方だと思う。これも考えるだけ無駄な感情なのだろうけど、だってどんな幼少期でもどんな親でも結果は同じじゃないから。ただ、私みたいにひどくならないでほしいだけ。そして結果論がすべてではなく、そのときそばにいることは辛いと知っていた。
思考の掃除は嫌いだけど、代わりに現実の掃除はすきになった。視覚的に整うのだ。整うことと生活が行いやすいかは、また違う。だからそれさえも必要な行為ではない。ただ整ったという視覚が、心に「整っている」という状態の安心感をもたらすだけ。脅迫的な不安を持たないなら、どんなに散らかった部屋でも構わないはずだから。
長い長い時間をかけて、こんな結論に行きつくならなぜ悩む必要があるのかな。5分で分かること。
結局私は、いらないんだよ。